大判例

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名古屋高等裁判所 昭和51年(ネ)583号 判決

控訴人 三井信子

右訴訟代理人弁護士 古井戸義雄

被控訴人 佐藤美智子

〈ほか四名〉

右五名訴訟代理人弁護士 大矢和徳

同 宮道佳男

主文

原判決を次のとおり変更する。被控訴人佐藤美智子、同佐藤知子、同佐藤義弘、同佐藤俊夫は控訴人に対し、

1  控訴人から金一〇〇万円の支払を受けるのと引換えに、別紙目録二の(一)記載の建物を明渡せ。

2  別紙目録三記載の建物を収去して

同目録一記載の土地を明渡せ。

控訴人の被控訴人久松勝治に対する請求を棄却する。

訴訟費用は、第一・第二審を通じ、控訴人と被控訴人久松勝治との間に生じた部分は控訴人の負担とし、控訴人と被控訴人佐藤美智子、同佐藤知子、同佐藤義弘、同佐藤俊夫との間に生じた部分は、同被控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、「一、原判決を取消す。二、控訴人に対し、1被控訴人佐藤美智子、同佐藤知子、同佐藤義弘、同佐藤俊夫は、控訴人から金一〇〇万円の支払を受けるのと引換えに別紙目録二の(一)記載の建物を明渡し、かつ同目録三記載の建物を収去して同目録一記載の土地を明渡せ。2被控訴人久松勝治は、控訴人から金六〇万円の支払を受けるのと引換えに、別紙目録二の(二)記載の建物を明渡せ。三、訴訟費用は第一・第二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張及び立証は、左のとおり付加するほか原判決事実摘示と同一(但し原判決七枚目表二行目中の「乙号各証」を「甲号各証」と改める。)であるから、これを引用する。

(控訴代理人の主張)

控訴人は、本件建物の賃料について値上げをすることなく、極めて低額のまま据置いてきた。これに対し、被控訴人らは他に転居先を求める努力を全くせず、控訴人の犠牲において長年低家賃のまま居住を続け一方的に利益を得ている。公共的住宅も完備されている現状にあり、これらの諸事実はいずれも解約申入れの正当事由を基礎づける事由というべきである。

(被控訴代理人の反論)

控訴人は低家賃を云々するが、賃料増額の請求があれば被控訴人らは誠意をもってこれに応ずるものである。いずれにしても控訴人は借家人たる被控訴人らが居住していることを承知で、いうなれば家賃収入を目的として本件家屋を前主から買受けたものであるから、明渡請求は理由がない。

(証拠関係)《省略》

理由

請求原因一項及び二項(但し、亡佐藤久義が本件建物工場部分を控訴人に無断で建築し、本件土地を不法に占有しているとの点を除く。)の事実は当事者間に争いがない。そして《証拠省略》によると、被控訴人佐藤美智子は亡久義と結婚した昭和二二年一二月八日以来、同久松勝治は本件建物を借受けた昭和一七・八年頃以来、その余の被控訴人らはいずれも出生以来それぞれ本件建物に居住していること、控訴人は本件土地の所有権を昭和四〇年八月二四日相続により取得したこと、控訴人は昭和四六年八月一六日被控訴人らを相手方として昭和簡易裁判所に調停の申立をなし、各人に対し、自己使用の必要性を正当事由としてそれぞれ本件建物賃貸借契約を解約する旨の意思表示をし、かつ明渡を求めたが、被控訴人らがこれに応じなかったため右調停は不調に終ったこと、そこで昭和四七年一〇月一八日受付の訴状をもって名古屋地方裁判所に対し、本件訴を提起し、同月二五日被控訴人ら(被控訴人佐藤知子については同月二九日)に対し該訴状が送達されたこと(記録上明らかである)が認められる。

そこで右の本件建物賃貸借契約解約の申入れに正当事由があるか否かについて検討する。

(控訴人側に存する事情)

《証拠省略》によると、控訴人は二五年有余にわたり教職にあったがここ数年内に退職を迎える時期にある女性であってさきに夫と離別した後は勤務しながらその子芳樹を育てて来たものであるが、僅かの山林のほかはさしたる資産も有せず、殆ど右職業より得る給料(昭和五二年七月現在月額手取一五万五、〇〇〇円)のみで生計を営んでいるものであること、かつては母可世と共にその所有の家屋に居住していたが、同人の没後その入院費や相続税、あるいは夫との清算金などの諸用速に多額の金員を要したのでこれがために借財し、その債務の返済を迫られて勤務先から支給される給料や当時居住していた家屋を差押えられる羽目になり、困窮して弁済資金調達のために本件建物を売却処分しようとして被控訴人らに各賃貸部分の明渡しを求めたが同人らがこれに応じなかったので、やむなく自己の居住家屋を売却して借財を返済し、原判決肩書住所地所在のアパート才仙荘の一戸を借り受け芳樹と共に居住するようになったこと、右部屋は総面積約一八平方メートル(五・五坪)の六畳一間に玄関、便所等が附帯した間取りで、辛うじて親子が生活出来る狭隘なものであったこと、その後昭和四九年一月頃芳樹は結婚して同じアパート内の同規模の一戸に移ったものの、ほどなく芳樹夫婦に子供が生れたため、アパート入居時の約定に従い同アパートを立退かざるをえなくなったこと、アパート退去後芳樹一家は妻の実家にその弟が結婚するまでの間ということで暫時身を寄せることとなり、一方控訴人は子供の養育を助ける必要もあって、芳樹(自動車修理工として働いている間に左手に負傷し身体障害者となっている。)が友人と共同で経営している自動車修理工場二階の一部にベッドなどを持込み、同所に居住して現在に至っていること、そこで、控訴人は、被控訴人らから本件建物の各明渡を受け(最少限居住面積の広い被控訴人佐藤美智子ら一家居住の本件建物東側部分の明渡)、自己及び芳樹一家の住居にあてたいとしてこれを切望していること、以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(被控訴人佐藤美智子、同知子、同義弘、同俊夫側に存する事情)

前示争いのない事実に《証拠省略》によると、被控訴人佐藤美智子の亡夫佐藤久義は、昭和一三年頃控訴人の母可世から本件土地を借り受けて、これに本件建物を建築所有していた中村金之助より同建物東側部分を借り受け居住していたが、被控訴人美智子も昭和二二年一二月八日久義と結婚して以来四・五畳、六畳、八畳の三間の右建物部分に居住するようになり、まもなく其処で久義は鉄工業を営みその後本件建物工場部分を建築し、その間に出生した長女・被控訴人知子、長男・同義弘、二男・同俊夫らを養育し生活して来たが、久義は昭和四二年一月死亡したため、その相続人である被控訴人らが賃借人たる地位を承継したこと、久義死亡後は右営業は継続できず、被控訴人美智子は、名古屋市冠婚葬祭互助会の外務集金係として稼働し月額手取約九ないし一〇万円程度(昭和五二年一〇月当時)の収入をえて生計を維持していること、被控訴人知子は、現在会社に就職し月額手取約九万円程度(昭和五二年一〇月当時)の収入を得ていること、被控訴人義弘は、在学中アルバイトをしていた際に誤って左胸部に挫傷を受け、その後遺症である外傷性心気症の関係で一時期稼働不能の状態にあったがその後回復し、昭和五二年に入り就職し、少なくとも昭和五二年六月以降月額手取約九万円程度の収入をえていること、被控訴人俊夫は現在名古屋市立大学に在学中(三年生)であること、同人らはいずれも住みなれた現住居に引続き居住することを希望し、他に転居することを全く考えたこともないこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(被控訴人久松勝治側に存する事情)

前示争いのない事実に《証拠省略》によると、被控訴人久松は、明治二五年二月二日生れの老令の者であるが、昭和一七、八年頃当時本件建物の所有者であった中村金之助から六畳と三畳三間の西側部分を借り受け、以来現在まで引き続き居住し、昭和五二年春頃までは名古屋市の失業対策事業の労務者として稼働していたが老人性白内障の疾患のためこれをやめ、現在年額一八万円程度の年金をえて右建物部分において独り暮らしをしているが、貯えはなく、衣類も友人からの貰い物で漸くまかなうような極貧の生活をおくっていること、同被控訴人には三人の娘があり、いずれも他家に嫁しているが、同被控訴人は自己に甲斐性がなく、同女らに親らしいことを何一つしてやれなかったとの自責の念から、同女らの世話になることをかたくなに拒否しており、また同女らも同被控訴人を引き取って世話する程の余裕もないため、同被控訴人としては右建物部分を退去して他に転住の場所を求めることは経済的に極めて困難であるのみならず、精神的にも多大の負担を伴うものであること、同被控訴人は老先も短いことでもあり、住みなれた住居で余生を全うしたいと強く望んでいること、以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(当裁判所の判断)

以上認定の諸事実に徴すると、控訴人が本訴提起前になした本件賃貸借解約申入は、その当時においては、なお正当事由を具備するに足りなかったものといわざるをえない。しかしながら、既に認定した双方当事者の資産状況、生活状態、居住関係、家族構成、その他近時名古屋市の地区内においては市営住宅など公共住宅が整備され比較的容易にこれに入居することが可能であること(顕著な事実である)等諸般の事情を総合考慮すると、おそくとも被控訴人義弘が健康を回復して稼働しだしたと認めうる昭和五二年六月頃においては、本件建物使用の必要度は、被控訴人久松を除くその余の被控訴人ら(以下被控訴人佐藤らという。)との関係では、控訴人側に、より切実なものがあると認めうべく、かつ被控訴人佐藤らが建物移転により蒙るべき財産上の損害を補填するものとして控訴人が申出ている金一〇〇万円の支払は、正当事由を補強するに十分の条件であると認められるから、おそくとも右昭和五二年六月末頃の時点において、被控訴人佐藤らに対する本件建物(東側部分)の賃貸借契約解約申入の正当事由が存在するに至り(本訴の維持継続により、前記解約申入の意思表示は、なお黙示的・継続的になされているものと解される。)、したがってそのときから六箇月を経過した昭和五二年一二月末日をもって右賃貸借契約は解約により終了したものと認められる。

しかしながら、被控訴人久松との関係では、既に認定した諸事情更には正当事由補強条件としての立退料の提示の点を考慮しても、いまだ賃貸借契約解約の正当事由ある場合に該当するものとは認められない。

そこで次に、被控訴人佐藤らに対する建物収去土地明渡請求について検討する。

本件土地に本件建物工場部分が建築されており、これが被控訴人佐藤らの所有であることは当事者間に争いがない。《証拠省略》によると、久義は昭和三一年頃鉄工業をはじめるにあたり右建物工場部分を建築しようとして当時本件建物東側部分の所有者であった中村金之助にその旨を申し出で、同人に対し、礼金として五、〇〇〇円を支払い、かつ家賃を従来の一ヶ月一、〇〇〇円から、一、二五〇円に増額することとして了解を得たので、正当な権限に基づき建築を許されているものと信じてこれを建築したものの、土地の所有者であった三井可世から許諾を得たことは全くなかったこと、その後久義およびその家族は本件建物が金之助の所有であった期間はもちろんのこと、これが可世に譲渡された後においても久しく右工場部分の建物の建築について抗議を受けたことがないままに経過したことから、同建物の建築について特段の問題意識を抱かないままこれを利用してきたこと、可世は金之助に対し本件土地を建物所有の目的で賃貸したものであるが、その際建築すべき建物を住宅に限りそれ以外の建物の建築については予め承諾を得べきものと定めていたこと、金之助は久義に本件建物工場部分の建築を許容するについて、可世に対し殊更に了承を求めて許諾をえたことはないこと等の諸事実が認められる。そうして以上認定の事実に徴して考えると、久義は、本件土地をその所有者たる可世に対する関係においては直接利用しうる権原を有しないのに、同地上に右工場部分の建物を建築したことが明らかであって、本来その所為は権原に基づかないものであり、したがって同建物を収去しなければならない立場にあったところ、この権利義務の関係は右当事者の地位を承継した控訴人と被控訴人佐藤らとの間において引き継がれ存続しているものであることが明らかであるから、控訴人の本請求はもとより正当であるといわなければならない。

以上の次第であって、控訴人の被控訴人佐藤らに対する本訴各請求はいずれも正当としてこれを認容し、被控訴人久松に対する請求は失当としてこれを棄却すべきものであるから、右と異なる原判決は、これを変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村上悦雄 裁判官 上野精 春日民雄)

〈以下省略〉

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